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寄稿文

寄稿文について

公式発見から50周年を迎え、これまで水俣病問題に関わってこられた方々に「水俣病問題:私が一番言いたいこと」というテーマで寄稿文をいただきました。

水俣病問題:私が一番言いたいこと

佐藤夫妻
佐藤夫妻
私達は、九州の熊本県水俣市袋茂道というところに住んでいます。職業は、現在みかんを完全無農薬で作っています。環境にやさしいみかん作りをめざし、二人で頑張って作っています。子どもは四人います。祖母と父と母は、水俣病認定患者でした。今は、三人とも亡くなってしまいました。昔は漁師だったので、小さい頃から魚をたくさん食べて育ちました。母は、特に病状がひどくて、立って歩けない状態で、車椅子を使っていました。年をとるにつれ歩けなくなりました。動かない足を一生懸命動かそうとしている母の姿が、とても可哀想でした。一生忘れることができません。現在も、被害で苦しんでいる患者がいるというのに、何もしてくれない国の態度を私達は許すことができません。全国や世界のみなさまの応援が必要です。宜しくお願い致します。今から書く文章が、皆様に伝わることができましたら、とても嬉しいです。
「水俣病の悲劇」とは何か
高倉史郎(水俣病患者連合事務局)
96年の水俣病政府解決策は、水俣病未認定患者問題を終息に向かわせたかのように思わせた。しかし、04年10月の関西訴訟最高裁判決がその迷妄を打ち破った。それ以降現在も続く水俣病未認定患者問題の混迷は、チッソと国、熊本県が、水俣病事件についての自らの責任を真正面から見ようとしないことに起因する。水俣病事件は、チッソ、国、熊本県による傷害・殺人事件であることにその本質がある。
日本政府は、水俣病事件の実際の患者数を隠している
津田敏秀(岡山大学大学院環境学研究科・教授)
水俣病問題の核心は、認定問題であり判断条件(認定基準)の問題であった。国・環境省は判断条件が医学的に正しいと言いながら、その理由を全く示してこなかった。環境省のお抱え学者たちは、判断条件の理由を全く説明出来ないのに、水俣病の専門家を名乗ってきた。メディアは水俣病の論争が続いているかのように報道するが、実際はお抱え学者達が説明できずに逃げているだけである。水俣病事件は食中毒事件なので、通常の食中毒事件の数え方を行えば、医学的にも行政的にも問題はなく、現在あるトラブルは解決出来る。
世界で二番目の水俣病
冥土のみやげ企画・旗野秀人(新潟水俣病安田患者会事務局)
新潟水俣病は熊本で起きた事件の教訓がまったく生かされないで繰り返された悲劇。しかも常に比較され、熊本よりも軽いと差別され続けてきた歴史もある。川の民と海の民の違いや気候風土の違いはあるが水俣病事件の本質は変わらない。公表されて半世紀、いくつもの裁判や闘いは新たな法律や制度を獲得した。評価もするが限界も知る。患者さんに喜んで逝ってもらえるような、身の丈にあった「冥土のみやげ」運動を展開中。
水俣病公式確認50年で言いたいこと
原田正純(熊本学園大学)
水俣病は正式確認されてから今年で50年になる。その間、何回も終ったとされた。しかし、そのたびに、次々と問題がおこって、水俣病は終っていないことが明らかになった。とくに、1996年には10,353人が和解して一時金をもらった。それで、水俣病は今度こそ終ったとされた。ところが、2004年10月、和解を拒否して裁判を続けていた水俣病関西訴訟の最高裁判決で国・県の責任が確定した。そのために新たな申請患者が急増した。2006年3月現在、その数は3700人となり、1000人を超える申請患者が新たな裁判をおこした。水俣病は終るどころか新しい局面を迎えた。
溝口チエさん水俣病認定・行政訴訟
溝口棄却取消訴訟・東京事務局
認定申請から21年、死亡してから18年間も放置され、水俣病罹患を証明する医学資料が無くなるのを待って申請を棄却された溝口チエさん。「母の審査はどうなっているのか」と毎年チエさんの命日に熊本県に問い合わせていた次男・秋生さんの訴えも、21年間無視され続けていたのでした。
いま秋生さんは患者に敵対する環境省・熊本県の姿勢、そして膨大な“誤診”の元となっている「1977(S52)年判断条件」を問う裁判を闘っています(写真は、熊本地裁前で挨拶をする溝口秋生さんです)。
水俣病事件──「混迷」させているのは誰か
横田憲一(チッソ水俣病関西訴訟を支える会)
今年(2006年)は水俣病患者が公式に確認されてから50年をむかえる。この節目を前にした昨年3月、環境省・熊本県・水俣市・チッソ・市民団体が、「水俣病公式確認50年事業実行委員会」を作り、協力して事業を行うことが提案され、関西訴訟団にも呼び掛けがあった。訴訟団では、「水俣病を正しく理解して問題に向き合う事業であれば、賛同・協力する」として実行委員会に参画した。そして、「慰霊」「教訓」「地域福祉」「もやいづくり」の4つの事業のうち、教訓部会員として二宮正先生(熊本大学医学部)に会議への参加をお願いした……