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「水俣病の悲劇」とは何か

「水俣病の悲劇」とは何か

高倉史郎(水俣病患者連合事務局)

1988年3月、最高裁はチッソの元社長と元工場長を、2名の水俣病患者の発症と死亡に責任ありとして、業務上過失致死罪を適用し有罪と判決した。起訴の遅延などによって責任範囲が著しく矮小化された判決ではあったが、公的にチッソ幹部の刑事責任が確定したのである。

問題となった1958年から60年ごろの水俣病事件史をふりかえれば、チッソのほかに原因など考えられない状況において、次々と人が死んでいくのを放置したことが許されるべきでないことは誰の目にも明らかだ。水俣病患者としてチッソや行政と激しく闘った故・川本輝夫氏は、早くから「水俣病事件は傷害・殺人事件だ」と断言していた。

2004年10月、最高裁が原告・水俣病被害者に対する国・熊本県の国家賠償責任を認めた。1960年1月1日以降、国・熊本県にはチッソの排水を止めるべき責任があったと断定し、それを怠った行政を厳しく罰したのだ。

私は水俣病問題を考えるとき一番大事なことは、この二つの判決が語っていることにあると思う。水俣病事件は、チッソ・国・熊本県の共犯による傷害・殺人事件であるという視点だ。もちろんこの断言は法律的には無理があるかもしれない。しかし、その毒物を流し続ければ人の健康に重大な支障をきたし、また死亡に至らしめる可能性を知りながら、会社組織の利益のため、あるいは国家の利益のためにそれを放置するなら、それは傷害・殺人だ。

現在、水俣病被害者が置かれた状況は混乱を極めている。行政により2千3百名余が水俣病患者として認定されている。96年には政府解決策が提示され、1万名余の人々がこれを受け入れた。要は、水俣病とは認定しないが、水俣病でないとも断言できないから、一定の症状をもち有機水銀に汚染された経歴を持つ人々の医療費を行政が負担し、チッソが若干の一時金を支払うというものだ。 

さらに04年の最高裁判決で(水俣病でなく?!)有機水銀中毒症と認められた約40名がいる。そうしてその後に4千名近くの新規認定申請者が引き続き、環境省がこれに対応しようと打ち出された保健手帳と呼ばれる対策があり、それを欺瞞として訴訟を提起した1千名に及ぼうという被害者がいる。

水俣病公式確認から50年が過ぎようとしているのに、行政の決まり文句、「水俣病の教訓を全世界に向けて発信する」は空語と化している。肝心の足もとで、水俣病は病像の確定もなく、被害者の実態調査もなく、包括的被害救済策もなく、臆面もないその場しのぎの対策だけが続いている。私は、その原因が、チッソも行政も、おのれが犯した罪を真正面から見つめようとしないという所に帰一していくと考えている。故・川本輝夫氏の慧眼にいまさらながら驚かされる。